「好きなこと」についての洞察 by師岡絵美里
2014/05/09
普段はインストラクターさんを育てる立場の人達なので、直接会員様の前に立つ事が少ない人達ではありますが、インストラクターさんによって毎日行われているレッスンを通じて、会員のみなさんとつながっています。
力持ちすぎる縁の下です。
本当に素敵な人達。
この人たちと仕事が出来る事に、いつも感謝を感じています。
たくさんの成長の機会を頂いてます。
つぎ、Quan yogaにて。
麗しの方々。
左から功刀嬢と、春ちゃん&春ちゃん(笑)。
目力強し。この日は三人が雑穀の話で盛り上がってました。
後藤裕子先生&私の娘でスナップ☆
このバッグいいでしょ。
プーマです。先生とおそろ。
裕子先生のスカートと私の着てるワンピースは、「Kai Lani」のものです。
ヨーガする女性におすすめ。
そしてなぜかウォーリヤ~~
Quanのレッスンは本当に気持ちいいです。心が清まります。
集まってくださる生徒さんたちも、みんなハートオープンな方ばかり。
とてもいい意味で、いわゆる「サービス」としてのレッスンではなく「ヨーガにおける真理」「自己探求」を求めて来てくださるのが嬉しいです。
レッスン後の爽快な笑顔や穏やかな表情。
後藤裕子先生の啓発してくださるヨーガスピリットに守られて、
素晴らしいスタジオ環境と、ヨーガ仲間に囲まれてレッスンできることに幸せを感じます。
Quan Yoga Ginza
2014年5月担当レッスン
13(火)10:00~90min / 12:00~65min
16(金)10:00~90min / 12:00~65min
17(土)10:30~90min
20(火)10:00~90min / 12:00~65min
27(火)10:00~90min / 12:00~65min
65min=Quan Time
90min=Quan Flow1
LAVA大森店でもレッスン担当しています。
「スピリチュアル瞑想ヨーガ」 2チケットワークショップ
5月10日(土)10:30~12:00
「はじめてのヨーガスートラ教室」 2チケットワークショップ
5月24日 (土) 10:00~11:40
「心の癒しヨガ」1チケットワークショップ
5月9日(金)9:30~10:30
5月26日(月)11:00~12:00
どのクラスも心の浄化、心の軸の再発見につながる内容でお届けしています。
ぜひお待ちしています。
詳細はLAVA大森店トピックスへどうぞ
http://www.yoga-lava.com/?action_j03=true&sno=14
---------------------------
さて。
今日は、『好きなこと』についての洞察を書いてみます。
毎回同じような事言ってたらすいません(笑)。
この前生徒さんが、瞑想によって変わった、というお話をしてくださいました。
どう変わったか、それは「考え方が賢くなった!」と目を開いて言ってました。
思考の使い方が前よりも賢くなった、と。
そうですね!
瞑想をすると、賢くなります。
瞑想をすると、頭がよくなります。
学校の成績が良くなるってタイプの頭の良さとは限りませんが、
瞑想や精神集中をトレーニングすると、思考の使い方がうまくなります。
洞察力も上がりますので、自分の人生で何をしたいのか、というのが明確になってきます。
”自分の好きな事に従事する”のと
”わがまま”の違いがしっかりわかるようになるので、
結果、人を振り回すことなく本来好きな事に従事できます。
この識別って大事だと思いませんか。
世間では、好きな事をしろしろ、と自己啓発的に言います。
もちろんそれはその通りだとも思います。
でもここで言う「好き」とうのは「勝手な事」とか「利己的な事」ではまったくないし、
真の「好き」であるならば、
それは「無私の心」の行為のはずです。
もし本当の意味で「好きなこと」ができているならば、
その時はどんな後ろ向きな発言も起こらな強さと忍耐力を以て臨んでいるはずです。
「好き」という定義を勘違いして、
自分本意、人に無理やわがままを通す、利己的だと、
自分の行為によって誰かが振り回されたり、
自分の視界で捉えられない所でしわ寄せが起こっていたります。
最終的にどこか調和を欠いた事になります。
瞑想や精神集中をトレーニングすると、
そういった自我が持つ利己主義的な愚かさが浄化されていきます。
ヨーガでは「無知」という言い方をしますが、
”自分が何者であるかを理解していない”
という無知のカーテンを開けなくては、
”好きな事”も自分本位に終わってしまいます。
基本的に、教典の中のヨーガのスタンスは、
「好き嫌いを手放しなさい」
です。
愛執=ラーガ
憎悪=ドゥヴェーシャ
「好きな物だけ保持して、嫌な物を避けたい」という欲ですね。
これを越えて、
”自分の為すべき事に集中しなさい”
という教えが基本です。
それは、現代で言う所の「好きなことをやりなさい」という自己啓発的テーマと相容れないのか、否か。
どう思いますか?
私は、どちらにも捉えています。
「好き嫌いを手放しなさい」というのは聖典ヴァガバッドギーターの主要トピックのひとつです。
自己を放棄して、自分の行為のすべてを、一切である神(イーシュワラ)に捧げなさい、という教えです。そしてそれによって、「わたし自身が誰なのか」を悟っていくのがギーターの教えです。
無私の行為で、「放擲」と言いますね。
「無私」の生き方を選択するヨーギンに、「好きな事をする」は適応するのでしょうか?
「好きな事をやる!」のと、
「好き嫌いを手放した無私の生き方」は、表面上の言葉だけ捉えるとまったく反対のような気もしますよね。
これは私の考えかもしれませんが、上記のふたつは、
真理のベースで考えると相反しないところを見つけています。
現代は多くの人が、「自分の本当にやりたいこと」がわからないのです。
なので、迷います。
本当に解っていれば、迷いなく、無私になれるのです。
行為の結果を期待しないで、今を精一杯やれます。
でも「自分の為すべき事」を見失った現代人の多くは、
「これでいいのか」「これじゃないかも」「もっと違う何かがあるのではないか」
という不満や不安を持つ事で、「今」に注がれるエネルギーが漏れていきます。
人生のおいての「幸福」とは、いろんな角度から言えるとは思いますが、
私は、「自分の為すべき事がわかっている」という事だと感じます。
個人的にはそう思っているので、ヨーガのレッスンでも「本来の自分」に立ち返れる事を大事にやっています。
意識の深い所では、「自分の為すべき事」が「好きな事」なんだと思います。
むしろ「好き」って言葉では表現としてちょっと物足りなくて、
「好きな事」とは、
『無心で全力投球できることで、
それを通じて自分以外の人が喜んでくれることに没頭でき、
イコールそれが自分の幸せだ!と両手を広げられること。
また、それに従事することに伴う“必須の努力”を喜んで引き受けられる事。』
このくらい詳細に定義しています(笑)
「好きな事」とはそういう事だと思っています。
苦労がないわけじゃなく、すべてがバラ色、みたいな事でもなく。
山も谷もあるんだけど、それでも誰かが喜んでくれるなら!と一生懸命になれることです。
人の心ってとても浅はかなところがあり、すぐに慢心してしまうものでもあります。
私自身も、ありがたいことに自分の「好きな事」を生業にできているので、
だからこそ反面いつも気をつけないといけない、と思います。
好きであれ何であれ、それ以前に
“すべては奉仕なんだ”
という事を、肝に、腹に、脳みそに、心のど真ん中にいつでも刻印していないといけません。
そういうことを、日常的な修行としてるのがヨーガのヤマ・ニヤマなんだと感じます。
人間は元々崇高な存在ですが、煩悩という心の偏りによっていくらでも愚かになれる生き物でもあるから。
瞑想して、 ヨーガをして自分自身の中の愚かさの記憶を、心を、浄化します。
瞑想します。
謙虚さのために。
みなさんも、よい瞑想の日々を。
愛と感謝をこめて
ナマステ
師岡絵美里