インストラクター日記

ヴィヴェーカとヨガの本質

2013/07/17

ナマステ
みなさんこんにちは。師岡絵美里です。


一気に夏!という感じでも猛烈に暑い東京です。
夏って大好きです。これからの季節、浴衣が着れるのも嬉しいですね



さて近況、小話。

最近私は、「引き受けなくてよかったなぁ」と思う案件がありました。


それは表面上、良い機会のようにも感じ、いいじゃんそれ!という感じもして、

でも心のどこか、なにかひっかかる感じがあり、

これに乗ってしまうと、よくわからないけれど何かとても

「経験する必要のない欠損」のようなものを負う、

そんな直感が心のどこかにあり、最後までそれをぬぐえませんでした。
 
なのでその魅力的な条件で一見良さそうな機会を、今回は見送ってみたのです。


で。

断ったら、やたらと視界が晴れ、まるで色眼鏡を取った時のような「リアリティ」が戻ったんですね!

やっぱり、引き受けなくてよかったんだ、と思いました。


みなさんにもそういう経験ありますか?
直感って、大事ですよ本当に。

ヨーガの哲学には「ヴィヴェーカ」という大事な教えがあります。


「正しく見極める」

「真理とそうでないものを識別する」

という感じです。


日常の中で起こる、見聞きする、考える、等の様々な事柄に対し、
真理の視点で見て、

それが心の清澄を高める神聖な種のものなのか、

はたまた自我を肥大させ、複雑さと混乱を拡大する業なのか、

それらをはっきりと、瞬時に見極める智。

ヴィヴェーカ。


「ヴィヴェーカ」は、意味合いでは「直感」とは違うものですが、
 
ヴィヴェーカの感性を養う努力(例えば聖典を読む、ヨーガを真剣に行う、利他的に生きる、瞑想を日課とする、など)を実施し、常に真理の洞察としての態度を試みていると、しだいに「直感」は精度を増していきます。

「ヴィヴェーカ」あっての「直感」、という感じで私は体験しています。


先の「引き受けなかった案件」は、
おそらく引きうけていたとしても悪い結果にはならなかったとも思います。
実際に引き受けたら最善を目指して行為するし、
意志の力も使いながら励むから。


それでも何かきっと、今回の人生には必要のないカルマ(業)を生むようなものだったんだと思います。
 
そういうのに「鼻がきく」ってのも、日頃から「ヴィヴェーカ」の感性に集中していたことの恩恵のように思えます。
 
ヨーガで養われるものは、人生を大いに助けます。本当にそう思います。
 
だからこれからも、みなさんにヨーガの本質を伝え続けようと思います。
 
 
サントーシャ2-42.jpg


永遠の至福に満ちた無上の光 1-36 .jpg


最近、自分の描いたイラストにヨーガスートラの言葉を載せて友人やワークショップ参加者の方に配ってみました。
とても好評だったので、また作ろうと思ってます。


<ワークショップのおしらせ> 

 
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以上のワークショップを開催いたします。
ぜひ来てください

 

最近、
 
「自分を見失った感じがする。どうやったら本当の自己を発見し、自分らしい人生が送れるのか」
 
という質問を受けました。


いろんな言い方ができますが、「探す」のをやめた時に本当の人生って見えてくるのではないか、とも思います。
もちろん探してもいいんだけど。

私たちの人生はインターネットの世界やパソコンの構造によく似ています。
自分が放ったものが返ってきます。

検索をかけたワードに関連・類似したものが、
機械的に返ってくるネットの世界とよく似た、同じような構造です。

なので、
「これかもしれない」
と「キーワード」を打ち込めば、
なんの抵抗もなくその検索結果が返ってきます。
キーワードに似ているものがばんばん返ってきます。

それを受けて
「そうかやっぱりこれだこれだ」
と一時的に喜んでも、人はすぐにまた「違うキーワード」で検索をしたい欲求にかられ、またこちらから投げかけたキーワードに引っかかって返ってきた検索結果に「そうか、やっぱりこれだった!」と思います。
エンドレスです。
その繰り返しは何度でもできてしまう。
ネットサーフィンのごとく。
 
でもそれって、本当に「見つけている」のでしょうか。
インターネットの作業でもわかりますが、

果たしてその「検索結果」が自分の望みを満たすものか、
本当に求めていたものか、
それはまた別の話ですよね。

ネットは話は例えですが、人は実際の行為の中でそんなような行いをしがちなんですよね。
興味や好奇心を満たすのはある意味楽しいので、それはそれでいいのですが、

でも、
「興味や好奇心が満たされること」

本当の意味で「自分を知ること」
はまったく違うものです。

探さないでみる。
「こっちが投げて、返ってきた結果」に自分自身が巻き込まれて自分を見失うのを、やめてみます。
「白紙のままでいる」
 
という覚悟ができると、
人生はその人のオリジナルの要素が自ずと前に出てくるのだと思います。
「自分探し」をやめた時に、「自分」がわかるんじゃないかと思うのです。
そんな「白紙」のままでいてみよう。という態度が、具体的には「瞑想」かもしれない。
ただ今この瞬間にいてみよう、という行為。

「探す」という作業も、手放すとやはり、軽いのです。


最後までお読みいただきありがとうございます。
感謝と祝福を贈ります。
 

ナマステ
師岡絵美里


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