インストラクター日記

「完璧ではないわたしという完全性」

2013/11/14

こんにちは。師岡絵美里です。


自分。その存在。


人っていうのはぜんぜん完璧ではなく

一人の人間というものは、極めて「偏っている」存在なんですよね。

苦手の事もあれば、これしかやれないみたいな傾向などもあるし、

好きな事や得意な事は長けていても、それ以外の面はもうからっきしダメだったり。

自分にとっては当たり前の事がまったく通用しない他人もいるし、

でも他人にとっては自分もそんな感じで「理解しがたい」存在なわけです。

でもそんなもんなんですよ。

だから、自分にしても他者にしても

その「偏り」を、もうこの際ばっちり認めてしまって、

まったくもって「完璧」じゃない私たちの「完全性」を理解しなくてはいけない。


物理的には完璧じゃないのですが、存在は完全なんです。

「自己存在」ってものを完全性を体感するには、ファーストステップとして

「みんな偏ってるんだ!」

って事を受け入れる必要があると思っています。


その「偏り」は、

表層の生活では時として不具合をきたす事があったり

他人とうまく調和しないような所もたぶん(いや、いっぱい・・)あるんだろうけど、

でもそういった「不具合な体験」そのものがとにかく貴重で、


そう、まさに合唱の練習とかを思い出してほしいのですが、

自分の歌は「どう偏ってるのか」みたいなあんばいをさぐり、

他人はどんな「偏り」を歌っているか、

そこをお互いに知り合っていって、認めていって、

歩み寄ってみると、だんだん「和音」を見つけていけるんですよね。



私たちの「自己存在」も、そんな感じで


「うまくいかない」


っていうプロセスを大事に大事に通ってみる。

するとそこに ものすごいハーモニー を見つけたりするんです。

何事にも可能性を見出す事をあきらめないで心を開いてみるんです。

もうひとつ言える大事なことは、

人の「偏り」をジャッジしないでいれる人

は幸いだと思います。


本当に。

みんな偏ってるんです。
それを心の中で価値判断したりジャッジすることは本当に不毛で、自分のエネルギーの浪費ですね。


偏ってる同士 がつながり合うこの世界、

その中にある様々な音色を探って、探って、あきらめないで探っていく。

そうやって和音作りに心開いていく中で、

「自分の存在」の音色を聴くじゃないかな。


そう思うのです。


だからまず、「自分の偏り」を認めてみましょうよ。

ってところです。

歪んだり、凹んだり、出っぱったり。まっすぐな所もあれば、奇妙なカーブもある。

そんな自分をまず認めてみると、この世界のおもしろい事が見えてくるんじゃないかと思うのです。

私は陶芸が好きで習っているんですけど、

自分で作った「自分の形」って本当に愛おしいです。

先生や他の人の作品も好きだけど、

やはり「自分の形」ほどの一体感はありません。

自分の事を自分以上に愛をかけ慈しめる人など、いないのかもしれない。

それは人間の思考パターンとしての「自己愛」ではなく、

本質的に、愛はやはり自分の中に完璧に収められているというところから来るのだと思います。

そしてそれでも、その愛と慈しみを自分以外の他人に差し出す「人間」の本性もまた、神の現われのひとつだと思えてなりません。


自分を愛そう

とか、簡単に言われてもそれがどういうことなのかピンと来ない人も多いとは思います。

そんな人にもやはりヨーガをすすめます。

丁寧に、丁寧に、どこまでも丁寧にヨーガを修めてみてほしいです。

するとわかります。

ちょっとお知らせにもなっちゃいますが、

私が大森店で開催している「心の癒しヨガ」というクラスに、
よかったら出てみてほしいです。

平日昼にしかやってないので夜や土日の方にはなかなか勧められないのですが、ご都合の合う方はぜひ。


全編通じて呼吸法を丁寧に行い、自分自身の「清き心」に包まれるような内容です。


≫スケジュールはこちら

アーナンダ。

私たちの本性は、生命という喜び。

ナマステ。


感謝を送ります。


師岡絵美里


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