インストラクター日記

喜びという薬

2013/02/07

みなさんこんにちは。
LAVA大森店の師岡絵美里です。


いつもありがとうございます。いかがおすごしですか。

体のこと、病気について、そして生きるとは。
ということをとても深く考えさせられるここ数ヶ月でした。

友人が病気になり大きな手術を受けたり、
また友人のお母さんが病気になり、その内容を聞いたり。

身近なところで、「病気」とどう関わるかがクローズアップされた日々でした。

なので、今回は「健康」について書いてみたいと思います。

写真.jpg

「生体健身呼吸法」
(LAVAの深呼吸ヨガでもおなじみの「奇跡の深呼吸」です。)

を行う我が子です(笑)

私は風邪をひくとこの呼吸法をやって体温を上げて治りを早めます。
疲れた時などもやってます。

それを見ている娘は、自分が風邪をひきはじめると、
「おとかけて」と言い、ガイドの音声の「ゆっくりすって~~~、よゆうをもってとめて~~~、ゆっくりはいて~~~」に合わせて呼吸します。
おもしろかわいいです(笑)
 

 
 
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生きているといろいろな事が起きます。
若くて元気な時は、健康に体する臨場感は薄いかもしれませんが、
時の経過とともに、「体」そして「心」とどう寄り添って協調して生きて行くかが、
「一番大事なこと」として浮上してきます。
 
成長期が終わった「身体的成人」がそのあとにすることは、「霊的成人」になることです。体をなるべく健やかに保ち、精神を成長させます。
健康は霊的成長の中で育まれるので。
 
自分の内側の精神的調和を育てながら、生き方をもって霊性を高めること自体が、身体の健康を促進していきますね。
体だけ単独で鍛えたりすることはできず、かならず同時に心が平和的方向へと収められる中で、「生き方としての健康」を見いだしていきます。
 
 
多くの現代人は、そうとうなまでに「鈍感」なのだと思います。
健康に気をつけている人や、健康に関する職業の人であっても、生身の自分の体をどうトリートするかには鈍感であることが多いと感じます。
 
鈍感になるのはとても簡単で、
便利さや手っ取り早さ、また「一般的」な方を選び続ければ、たとえそれまで修行僧のような生活習慣で調整を重ねて過ごしていた人でさえ、一週間もあればじゅうぶん鈍感になれます。毎日テレビを見ながら甘いお菓子でも食べていれば、簡単に鈍感になれるのです。
 
だから私たちヨギも細心の注意を払い、時々は「楽しみ」として逸脱する時があったとしても、許容範囲内に収めながら調整していく必要があります。
 
また、健康について、外側からくる情報に対して「敏感」であることも、ひとつの「鈍感」さの現れでしょう。
メディアと通じて次々と与えられるファッショナブルな「健康法」やその情報に、「これがいい」「あれが効く」と踊らされている状態は、ある意味ひとつの不健康だと感じます。
 
自分が自分の看護師であり、自分が自分の医者であれば、多くの情報はいらないはずです。
自分で、その時々の変化の中で、「今はこれだ」と感じられるセンサーを大事に。
生き方としての健康法を見いだし、外の情報にも柔軟さを忘れずにいれれば、次々と新しい手段やツールを求めなくて済むはずです。
すべてのことを自分で調整はできなかったとしても、どれを助けとするかの判断基準は自分の中に持っていられると思います。
 
 
「健康の秘訣」は、それを語る「角度」によって変わってきます。

誰がどの立場で健康を語るかによって、内容は大きく変わり、真逆の説にもなるのです。

研究者や専門家は自分の専門としていることをもちろん勧めてくるでしょうし、国や公の機関が提示している栄養や健康に関する「奨励」は、なんでもかんでも「一般化する」というフィルターを通ってからやってくるので、個人にとって合っているものかどうかはわかりません。
 
メディアから流れる情報は「話題性の高さ」が優先されているため、
これにただ巻き込まれてしまうのは自分の体に対して賢い選択ではないですね。
中にはいいものも自分に合っているものもあるかもしれませんが、
次から次へと提供される「餌」に、自分で考えることなく飛びついてしまうのは危険です。
自分の体へのデリカシーがどんどん薄れます。
有名人や芸能人がやっているから、という理由は、必ずしもあなたにとっての理由にはなりません。
 
 
じゃあ菜食だ!と、やってみたところで、体質や、自分の職業的な身体条件などを考慮しないで無理矢理行うと、かえって体を弱らせる場合があります。
「食」とは「生活全体」を指すものなのだ、ということを見落としてはいけないのですね。
菜食により生命力が高まる人もいれば、弱る人もいます。
本来は菜食は人間にとって自然だと思います。もともと日本の地にはいなかった牛をわざわざ連れて来て、乳製品や牛の肉を摂るのは不自然です。頻度が多ければなおさら。
 
でも「不自然な人工的環境と不自然な人工的時間」の中で生きている場合、
「不自然な食」ですらある意味「調和的に働く」のです。とても皮肉ですが。
 
私がアメリカではじめてヨガを習ったころ、アメリカ人の女性の先生が、
「ヨガをちゃんとやると、食べ物が全部かわっちゃうかもしれないし、つきあう人や友達がかわるかもしれないし、仕事もかわっっちゃうかもしれない。でもいいのよ。」
と、にこにこしながら言っていたのを思い出します。
 
菜食など自然食で生きる場合、環境的な意味でも精神的な意味でも、生活そのものが菜食に寄り添うのが自然なのですね。
 
その意味では、私はぎりぎりのところにいると思います(笑)
現代的な生活の中で、私の日常のすべてが「自然」ではありません。
時間を区切って生きているし、締め切りはあるし、ぎゅーぎゅーの満員電車に乗る事もあれば、夜中まで資料作成でパソコンを打っていたりする日もあります。
でもだいたいは早寝早起き、夕方には食事を終えられるし、子供のおかげでリズムは健康的です。仕事自体が運動なので、運動が不足することはありません。周りの素敵な人達とヨーガのおかげで精神的にもとても平穏で楽しい日々です。
でも「この感じ」であっても、やはり不自然さはあります。
都会で暮らすということは、多すぎる電信柱と電線という電気的な蜘蛛の巣に捉えられた小さな蝶のようなものですね。私自身が「蝶(変容の可能性と芸術の象徴として)」であること「忘れないように」過ごすには、やはりシンプルにシンプルに、できるだけ複雑になっていかないように細心の注意を払って、必要以上に規模が大きくなったり、何かにこだわってひとところにまとまりすぎたりしないように、かなり客観視して、そして菜食。
そんな感じなのです。
(ヨーガの理論が導きとしてあるからこれができます!)
 
かのアメリカの先生が言った、
「ヨガをちゃんとやると、食べ物が全部かわっちゃうかもしれないし、つきあう人や友達がかわるかもしれないし、仕事もかわっっちゃうかもしれない」
これは事実ですね。
 
反対の言い方をすると、毎日家にいる間中テレビを見ている人達が、ジャンクなお菓子と肉食に寄り添うのはある意味当たり前です。
 
部分的に変えることなんて本来無理で、本当に健康に、自然になりたいのなら、
「取り入れる」とかではなく「改める」くらいの革命が必要です。
と私は思います。
 
 
 
現代人にむけて、自分自身の健康を考えるうえで提案したいのは以下のようなことです。
私も気をつけています。
 
 
・物差しを人に明け渡さないこと

自分の体を「一般化」しないことです。公の機関などが出す栄養の基準が、そのまま自分に合てはなるなんてことは、ほとんどないです(爆)

自分の体を自分で感じていくことですね。
またメディアに乗せられないこと。
 
 
・臨場感を持つこと

目の前にある「食べ物」のエネルギー(状態や質)としての本質を、自分で感じてから食べることですね。
これが自分の胃袋に入って、そのあと小腸に入って、その要素が全身にめぐって・・・と、本気でイメージしてみてください。
何を食べたくて、なにが必要ないかはわかります。
 
また食品添加物の弊害などよく知らなかったとしても、
例えば出来合いのお惣菜やコンビニのおにぎりなどの裏面の「食品の表示」を
じーーーーーーーーーーーー・・・と、
読み眺めてみてください。30秒以上。

そこに書き連ねられた無数の食品添加物。
添加物の名前とかよく知らなかったとしても、
あなたの「本能」が、「これは体にいれたくない・・」と伝えてきますよ。
そうやって、自分の感覚を高めていくのがいいですね。
そして、もしそれでも食べるなら、もうそれは、楽しむことですね。
 
 
・「好きなことをする喜び」を奪わないこと

最終的な健康は、これだと思います。
「好きなことを楽しむ」。
その喜びは、健康である必須条件であり、魂への栄養です。
 
時間がない、お金がない、年だからむり、向いてない、将来のためやお金にはならない、などなど、いろんな理由をつけて、「好きなことを楽しみむ喜び」を自分から奪っているようでしたら、いつか病気もしくは「病気的な状態」になります。
自分に「好きなことをする喜び」を与えられない人は、たいてい人を羨むか、認めないか、ねたみます。その負の感情が病気を起こします。
 
楽しもう。
規模やレベルは関係ありません。
 
これは私たちの魂に大事なんです。
 
例えば一般論だけで言うと、心拍数が過剰に上がるような運動をやりすぎるのは、体にとっていいわけではありません。物理的な体には害になることもあります。
でも、これは魂の求めならばアリなのだを私は思います。
もしそれが魂に歓喜を呼び起こすならば、やったらいいです。
長生きしたいなら、ヨーガや気功のようなゆったりした動きと呼吸の連動がいいです。

でも、
早死にしたっていいから踊り続けたい!
そう思うダンサーの気持ちは、真実だと思います。
その中で自分なりの健康を見つけていけばいいのです。
 
自分を一般化しないで、見つめながら、喜びを奪わないで生きてみよう。
 
それでも病気になることもあれば、いろいろな症状を持つこともあります。
その時に「薬」になるのが、「喜びの体験」です。
もし不断から、喜びの中で生きることを自分から奪ってしまっていたら、病になった時、弱った時に、「力の出しどころ」がわからなくなるのです。
 
だから、喜びは大事です。
生きているということに手放しで喜べる、単純かつパワフルな光が、人を治すのです。
 
そして何があっても「生ききろう」。
そうすれば後悔はない。
 
 
そんな感じです。
魂の宿るこの体。
その健康についてでした。
 
 
 
ヨーガと、踊ることは、私にとってとても大きな喜びです。
絵を描くことも、何かを作ることもまた、魂の潤いです。
最近は娘がいろいろな絵を描いてみせてくれるので、これまた喜びです。
子供の無作為な絵は、光量が強い。
「一般化」されない環境と波動を、できるだけ家に中に満たしたいです。
そんな子育てが好きです。
  


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最近の娘の絵。

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先日5歳のバースデイを大森店のスタッフのみなさんに祝っていただきました。
ヨーガとその仲間とともに育ってます。



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大森店の素敵なメンバーと。
 
 

<ワークショップのお知らせ> 

◆「舞の瞑想・ナタラージャヨーガ」

2013年2月23日(土)14:00~15:30(90分)
LAVA 大森店

ヨーガを踊ろう。

舞いながら瞑想しよう。
 舞いは、魂が研ぎすまされる最高の浄化です。
踊ることで、女性性の高まりを感じてほしいです。
ともに踊って感じ合いましょう。ダンス未経験オッケーです。


◆「氣を感じるヨガ」

2013年2月9日(土) 14:00~15:30
LAVA 大森店
 


◆「サイレントヨガとワンネス瞑想」

2013年2月14日(木) 11:00-12:30
LAVA浦和店

2013年2月16日(土) 10:00-12:00
LAVA 高田馬場店


浦和店は平日なので穴場ですよ~。高田馬場でもお待ちしてます。
サイレントヨガは運動量も多めなので動きたい人にも向いてます。
 

お待ちしています。

最後までお読みくださりありがとうございます。

みなさんよい日々を

 

感謝と愛を送ります。

ナマステ

師岡絵美里


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