本日のお悩み
慣れ親しんだ人たちと別れて、新しい環境に進むことになりました。楽しみなのですが、今の仲間と離れることが寂しくて仕方がありません。今までと同じように仲良くしていくことはできるでしょうか?
本日もお悩み相談ありがとうございます。
新たなスタートのとき。今までの仲間と離れる寂しさ、心細さはよくわかります。しかし、その友人も、あなた自身も、毎日変化しながら成長し続けています。
1日に何回も呼吸を繰り返し、細胞分裂し、無数の思考が出たり消えたり・・・
例えば、小さな子供の頃「迷子になったらどうしよう、このまま一生家族に会えないかもしれない」「楽しみにしていた遠足が雨でなくなるなんて!」と絶望的に思ったことはありませんか?
でも大人になった今は、そんなことが起こっても冷静に対処できますよね。
人は日々、経験を繰り返して成長するもの。
私たちは、日々成長を繰り返し、その経験の共有のために必要な人が今周りに集まっている、と哲子は考えています。
必要な学びが成長によって変われば、それを与えてくれる人も変わるかもしれない。残念だけれど、もし離れていく人がいれば、それはお互いの貴重な経験を分け合って、完了した結果であると受け入れましょう。
そしてその経験がまた、新たな仲間との絆の土台となり、あなたを支えてくれます。長い人生の過程で、いつかまたつながることもあるかもしれません。
手のひらでギュッと握りこまず、人や情報、考え方の往来を自由にしておけば、良い巡りが起こるのではないでしょうか。
どうぞ気楽な気持ちで、肩の力を抜いて、新たな道へと進んでくださいね。
本日のお言葉
- 無知、我想、執着、憎悪、生命欲が、
五つの障害(煩悩)である。 ヨーガ・スートラ 2章3節から抜粋 - 今回はこの5つの障害の中の3番目、「執着」について。人や物、何にせよ多かれ少なかれ好き、嫌いの感情はあるもの。生きている以上、それはあって当然のことです。今回はこの5つの障害の中の3番目、「執着」について。人や物、何にせよ多かれ少なかれ好き、嫌いの感情はあるもの。生きている以上、それはあって当然のことです。一見好ましいように見える「好き」という感情ですが、それも行き過ぎると執着へと変化します。 「これが好き→大好き→手放したくない→なければダメ、私ではなくなってしまう」のループにならないよう、好き、嫌いにもある程度の余白をつくって(or余裕を持たせて)おくことをおススメします。
またお会いしましょうね♪