ヨガのある生活で、毎日を心地よく。
心もカラダもハートフルになれる手のひらメディア。

ヨガの知恵でズバッと解決 教えて!ヨガ哲子の部屋

本日のお悩み

昨年末、人生で初めてインドへ渡った哲子が、ヨガを学び伝えるヨガインストラクターと言えど、さまざまに悩み苦悩があることを知ります。今回はいつもとはちょっと違う形で、展開します。

ハーイ、哲子でございます。

先日、私の住む地域では春一番が吹きまして。今日も羽織もの一枚あれば外に出られる陽光です。あぁ、春ね〜。

昨年末に、人生で初めてインドへ行く機会がありました。

場所はバンガロールという南インドの街。皆さまはご存知かしら?インド半島のほぼ中心に位置するカルナ―タカ州の州都バンガロールは、インド第3位の人口を誇るIT都市です。

途中タイで飛行機を乗り換えましたけれども、片道なんと15時間ほどもかかるのよ!
と、遠い…!

近年異国への旅行はもっぱら近場が多かった哲子なもので、久しぶりにネックピローを片手に気合を入れて乗り込んだのでした。

インドで知った、みんな悩みの淵は深い

今回の旅の目的は、ヨガの学びを深めること。10年近くヨガインストラクターとして活躍する方々とアシュラム(僧院)でともに1週間ほど過ごします。

カラダを動かすアーサナもするけれど、ヨガ哲学、呼吸法、アーユルヴェーダ(脈診による体質診断と改善方法、食事療法、アヴィヤンガ(オイルマッサージ))、チャンティング(歌や踊り)、そして、日頃のストレスや『デジタルどっぷり』を手放して、規則正しく、心穏やかな暮らしを取り戻すプログラムなのよ。

アシュラムに到着して2日目、元カンタス航空のフライトアテンダントだという、たいそう美人で聡明な先生にヨガ哲学を教わります。

冒頭、こんな問いかけから始まりました。

「あなたにとって、悩みはなにか?」

ヨガの哲学でズバッとお悩み解決!を目指す哲子にとってドンピシャの問いかけ・・!胸の高まりに一人こっそり興奮しながらも、参加者が二人一組になって対話を始めてゆきます。

「人に優しくしたいのに、自分が満たされていないから優しくできない。」
「睡眠が浅くて、ぐっすり眠れていない。」
「パートナーと別れて半年。恋人がほしい。頼れる人がほしい。」

・・・切実!

「健康になりたい。ずっと胃が痛くて、薬が手放せない。」
「自分の思い通りにならないとイライラして、子どもにも、旦那にも当たり散らしてしまう。嫌悪感がハンパない。」
「子どもの時に想像していた人生と違っていて、人生こんなもんかなーって、漠然とした不安がある。」

・・・なんと!

口々に悩みがこぼれます。

心にもカラダにも何か引っかかりがあると、それが気になってしまいずーっと考えてしまう。そしていつの間にか「悩み」になって、自分の周りにまとわりついて離れない存在になってゆく。

ヨガインストラクターだから、ヨガの学びを長く続けているから人生悩みがないだろう、というわけではなくて、いち人間として苦悩は常にあり、その淵は暗くて深いと感じた時間でした。

手に入れたら、悩みはなくなるのか?

お悩みのほとんどは、「何かを手に入れたい」思いと、「そうならない現実」とのギャップに対する苦悩です。

お金がほしい、時間がほしい、健康がほしい、質の良い睡眠がほしい、恋人がほしい、子どもがほしい、心穏やかな自分がほしい。

理想の自分とそうじゃない自分。
こうあるべきなのに、そうなれない私。

これって、苦しくありませんか?

その何かを手に入れるまで、そうならない現実をずーっと突きつけられ続けるわけです。

屈強なメンタルの持ち主ならともかく、並大抵の方は、落ち込んだり、焦ったり、ネガティブな気持ちに苛まれてしまいそうです。

しかも、ひとつ手に入れて満足かしら?

次はこれ、その次はあれ、外の刺激を求め続ける限り、「理想の自分とそうじゃない自分」の無限ループはずーっと続くのでは?

いつになっても満足しない!

何かを手に入れたらお悩みはなくなる、ではないと知っておきたいと思います。

悩みとしてみる限り、悩みはあり続ける

私がアシュラムに滞在していたとき、師走だというのに暖かく穏やかな南インドの気候、そして、平和で守られたアシュラムの環境に身を置いていると、この世の理想郷のような気がしてきます。

美人で聡明な私たちのヨガ哲学の先生は、次のように教えてくれました。

「人や状況をそのまま受け入れなさい」

お悩みがあったとしても、本質的な解消などというものはないのです。解消へ向かう方法があるとするなら、悩みを悩みとして見ず、あるがままに受け入れること。

さすれば、道は拓けます。

悩みとして見続ける限り、悩みはあり続けます。

問題も、問題として見続ける限り、問題としてあり続けます。ありのままに受け入れる。受け入れ難いことでしたら、ただ、あるがままに見るでもいいんです。

やってみましょう。

実はね、インドへの旅路には余談があって。

朝9時に成田空港へ集合した私たちは、その日の深夜24時近くにはバンガロール空港へ到着して、ありがたくもアシュラムからのお迎えの車に揺られて、2時間後には暖かいベッドで横になれる予定だったの。

それが、空港へのお迎えが見当たらない!よくあるじゃない?「●●御一行様」カードを掲げてお迎えしてくださる方。

その方が、いない・・・。

ちょっと遅れているのかも?やっぱりインドだし(勝手な先入観w)、のんびり待っていましょう〜♪と、屋根はあるけれども空港の外に陣取っていた私たちも、さすがに30分を過ぎる頃から、あれれ?マズいかも…と思い始めまして。

手当たり次第に、「すみませ〜ん、●●からお迎えの方を探しています。あなたは私たちの送迎の方ではないですか?」と声をかけ、「インドの緊急連絡先に電話をしたいんですが、日本人でスマホのSIMがまだ繋がらなくて困っています。

あなたのスマホで電話を掛けてもらえませんか?」と頼み、「メールも送りたいんだけど、あなたのアカウントを貸してくれない?」と図々しくもお願いしてまわったの。

深夜のインドの空港、しかも屋外。

煌々と灯りが点いていたのは何よりも救いだったけど、状況打開せずに、3時間、4時間が過ぎてゆくにつれて、さすがにみんなの疲労も濃厚に…涙。

最終的に私たちからのヘルプに気づいてくれたのは、時差の関係もあって、夜明けの早い日本のコーディネーターでした!

まさかインドの空港、しかも屋外で朝を迎えるとは思ってなかったけど、「連絡ついてよかった〜」「気づいてくれた日本の方、神!」「全員無事なのが何よりね」と口々に感謝が出てくる、我らヨガを学ぶ者たち、ヨガを伝える者たち、肝が座っているわ〜と思ったわ。

ありのままを受け入れる。さすれば、道は拓けます。

本日のお言葉

ヴィシェーシャ・ダルシャナ アートマバーヴァ・バーヴァナー・ヴィニヴルッティヒ
ヨーガ・スートラ 第4章25節から抜粋
人の苦悩は、自分自身が、感情、気分、悩み、苦しみであると混同する考え方にあります。考え方は時間とともに変わり、数限りなく分かれ、常に変化している『物』。自分自身は『物』ではないでしょ?過去の傷つけられた思い出、後悔、悲しみ、怒り、苦しみ、未来の不安や恐れそのものが自分自身であると混同して、人は悩み、苦悩するのです。何があっても、変わらず、何にも影響されることがない意識の源が自分自身の本質よ。穏やかで、平和な存在。それを知っておいて。

またお会いしましょうね♪

ヨガ哲子

ダウンロードはこちらから

この記事を書いた人