本日のお悩み
子どもとの関係に悩む母親です。一家の大黒柱が私…ということもあり、子どもが小さい時に一緒にいられませんでした。その後ろめたさもあって、子どもに強く出ることができません。反抗期の子どもと穏やかに暮らすにはどうしたらいいでしょう?
本日もお悩み相談ありがとうございます。
あら、まぁ、お母さん!
一家の大黒柱で働いてきたのですね!
すごいことじゃないの〜。
哲子はおひとり様だから、自分のことは自分で♪だけど、女手一つで家族を養って(なんて表現は時代遅れかしら?!)きたのは、あなた様にとっての勲章ね。
本当にお疲れ様です。まずは自分を労わって差し上げてください。
さてさて、哲子です。
そうねぇ、反抗期のお子さん。
かつての自分に重なるところは、ないかしら?
私もこんなだったなぁと思い返して、何か似ているところ、子どもとつながるところはありませんか?
私は子どもの頃は些細なことで親に反抗したり、思春期の頃は親と距離を取りたくなりました。束縛されたり、考えを覆されたりするのがイヤでね〜。
ふふふ、思い出すだけでも、甘酸っぱくて、どうもこの辺がこそばゆくなります。
今となっては、子ども心に感じていたこだわりも、わがままも、「なぜだったのかしら?」と思い出せないくらいなのですけどね。でも、当時の子どもにとってはアイデンティティ。大事にしていたものなのでしょう。
そうなのですよ、子ども心は大人には分からないものです。
子どもを経験して大人になった私も、あなた様も、もう、子どもではない。すると、霧に隠された宝島のように、子どもの本心というのは見えない。
子ども心は、子どもにしか分からないのです。
あなた様も、子ども時代は、大人に対してこうして欲しいがあったはず。
私は子どもの頃、もっと任せて欲しい、自由にさせて欲しいと思っておりました。
その裏側で、大人が全部責任を取ってくれていた、帳尻を合わせてくれていた、なんてつゆも知らず。
今思えば、思いっきり甘えておりましたね。そういう環境を用意してくれていた親や大人に、今は心から感謝しております。
しかしながら、いざ、自分が親になったら、子どもとの関わり方が見えなくなります。
それはあなた様が一生懸命やっているからですよ。
大黒柱として働いて、子どもとまっすぐ向き合って。悩みの淵も深くなりますよね。
もうね、花マルなのです。ご自分に大きな花マルを送ってあげて欲しいです。
「ママ、ママ」と言い、頼ってくれた小さなお子さんは、もう一丁前。それはお子さんが成長した証です。反抗期も思春期も、人として自我の現れでしょう。
渦中で見守る大人にとっては、少しつらいこともあるかもしないけれど、喜ぶべき成長過程です。
「もう、コントロールも、束縛も要らない。」
そう、お子さんはサインを送っているのかもしれませんね。
反抗期の子どもに思い悩むお母さんに、ヨガの聖典ヨーガ・スートラから次の言葉を贈ります。
第3章19節 考えに瞑想すると、人の心がわかる
子どもが求めていることはなに?
子どもが真に訴えたいことは?
ご自分を責めすぎず、力みすぎず、親の役割とか社会的立場とかも。ちょっと脇に置いておいて、一人の人間として子どもを見つめた時に、「この子のために〇〇してあげたい」。
その感情こそが、お母さん自身を癒し、救うことになるのかなと、哲子は思います。
本日のお言葉
- 考えに瞑想すると、人の心がわかる
プラッティヤッシャ パラチッタ・ニャーナン ヨーガ・スートラ 3章19節から抜粋 - 心は、自然の法則によって正しく働くもの。自分の心を理解した時に、人の心の在り方も理解することができます。人の心がわかるということは、人の抱える苦しみも受け入れられるということ。 ヨガや瞑想の練習で、人を受け入れる心の広さを育んでいきましょう。そうすることで、人と自分の考えの違いに寛容になることができます。関係性の中で自由であるということは、誰といても、どこにいても、心が自由であり、関わり合っていても束縛されない自由な生である、生きたヨガであるということなのです。
またお会いしましょうね♪