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日本でもヨガを実践することが一般的になってきた今、ヨガのエクササイズ的な要素以外である、心や思考に作用する「ヨガの教え」に興味を持つ方も増えています。

この連載では、ヨガの教え=ヨガ哲学を体系的に学べる『ヨーガスートラ』を、ヨガインストラクター養成校の講師・インストラクターたちが解説していきます。

第2章17節
ドラッシュトゥル・ドゥルシャヨーホ サンヨーガハ ヘーヤ・ヘートゥフ
本当の自分と、自分ではない物を混同することが、ドゥッカ(苦悩)の原因です。

ヨーガ・スートラ(やさしく学ぶYOGA哲学ヨーガ・スートラ参照)

「観るもの」、「観られるもの」とは

ヨガ哲学では、「観るもの」と「観られるもの」を混同してしまうことに、苦しみの原因があるといいます。 この言葉の「観るもの」と「観られるもの」を「プルシャ」、「プラクリティ」としています。

■プルシャ:観るもの、変わらないもの(真の自己)
〔意味〕欠けたところのない満ち足りた存在である「真の自己」

■プラクリティ:観られるもの、変化するもの(カラダ、呼吸、五感、考えなど)
〔意味〕「真の自己」以外のすべてのこと

このプルシャ(観るもの)とプラクリティ(観られるもの)の関係は、映画の主人公(観られるもの)と、その映画の鑑賞者(観るもの)に似ています。

映画の物語の中で、あなたは様々な経験をし、その経験から心が揺れることがあります。

時に映画の主人公が心身にダメージを受けると、まるで自分が負傷したかのように心が反応し「あっ!」と声を出し、リアクションをとることがありますが、実際にあなた自身は何も変わらず、何も起こっていません。

「プルシャ(観るもの)」と「プラクリティ(観られるもの)」は、このような関係のことを指します。

年齢、容姿、能力、思考のように私たちは常に変化するもの「プラクリティ(観られるもの)」を持っています。

年齢やカラダの扱い方によってもカラダは変わり、忙しい時や気持ちが落ち着かない時は呼吸も早くなりますが、ヨガのレッスン後のように落ち着きリラックスしている時には、呼吸も穏やかにゆっくりと感じられるものです。

私たちは視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚という五感を通して外の情報を得ていますが、風邪をひいた時に鼻が詰まって匂いが分からなくなるように五感も変化します。

思考もヨガをはじめる前と比べて変化したと感じている人もいるかもしれませんね。

このように、「真の自己・プルシャ(観るもの)」以外、実はすべて「変化するもの・プラクリティ(観られるもの)」なのです。

本来であれば「自己」に「変化するもの」が所有されていますが、私たちはいつも自分の持っているもの(カラダ、呼吸、五感、考えなど)と「真の自己」を混同してしまいます。

例えば、

私のカラダは衰えている→私は老けた
私の心はイライラしている→私はイライラしている
私の考えはポジティブだ→私はポジティブだ

というように言いがちですが、衰えているのはカラダで、真の自分ではありません。

イライラしているのは思考であって、これもまた真の自分ではないとヨガ哲学では考えられています。そして、心でさえもヨガ哲学では持ち物であり、道具であるプラクリティ(観られるもの)という捉え方をします。

私たちは、変化する「自分が持っているもの」自体を「自分自身である」と誤って認識しやすいのです。

真の自分とは変わることのない満ち足りた存在であると、ヨガ哲学では教えています。

例え今、衰えたと感じてもトレーニングや食生活を変えることで、以前よりも若々しくなる人もいますし、ポジティブな考えを持っていても、時にネガティブな思考に変化することもきっとあるでしょう。

イライラしていたのにヨガのレッスン後は、まるで嘘のように心が晴れた、という話もよく耳にします。

自分が持っているものは不確かで常に変化します

しかし「あなた自身」という存在は唯一無二で変わることはありません。

変化するものと変化しないもの、自分以外のものと真の自分との同一視が悩みの種となります。

本当の自分とそれ以外を見極め、悩みから解放する

本当の自分(プルシャ)と変化する自分以外のもの(プラクリティ)を見極めることは難しく、違和感を覚える方もいるかもしれません。

しかし見極めることなく、ポーズ(アーサナ)の練習をしていたとしたらポーズ(アーサナ)の完成形に囚われ、執着心が生まれることもあるでしょう。

ヨガとは、心の波を静かにすることが本来の目的であるにも関わらず、心を静められる状態からは遠ざかってしまいます。

あなたは変わらない鑑賞者

人は誰でもこの世界に生まれ、どんな人でもこの世を去ります。

老いと共に変化する容姿や衰えるカラダ、病気からくるカラダの苦しみを変わらない自分と混同すれば、それは苦しみを生み出します。

どんな年齢や状況であったとしても変わらない「真の自己(プルシャ)」が常に自分にあると知っていたらどうでしょう。

映画を見るように、自分の人生を俯瞰する視点を持つと、その時々の感情や出来事に巻き込まれ過ぎることなく、あなたにとって有益な選択ができることでしょう!

観察の視点を持つことが何者にも影響を受けず、観察者(プルシャ)である自己に気づく手立てです。

その視点が持てたら、何が起きようが平穏な心につながっていられるのです。

いつでも還ることのできる存在があることを知る

目まぐるしく変化する心やカラダに振り回されることのない存在、それが「真の自己(プルシャ)」であり、あなた自身は変わることのない鑑賞者(プルシャ)です。

もし何か大きな悩みや苦しみを感じたら鑑賞者(プルシャ)に還るということをしましょう。

あなたは自由で無限の存在で、常に変わることのない満ち足りた「真の自己(プルシャ)」であることを思い出すのです。

このことが、いつでも苦しみから自分自身を救い出す手助けとなります。あなたは、いつでもこの「真の自己(プルシャ)」へ還れることをすでに知っています。

自由で無限の存在であるご自身に触れ、心穏やかな日々をお過ごしください。

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