本日のお悩み
いつも楽しく拝読させていただいております。今回は哲子さんにお悩みというよりも、ヨガが大好きな哲子さんに私自身ヨガに出会って気づいたことと、私自身の行動や考え方が変わった体験談を共有したく、お便りいたしました。私のヨガの体験が誰かの役に立つといいなという想いをこめて。
ハーイ、哲子でございます。
本日もお悩みありがとうございます。・・・と言いたいところですが、今回はこの間いただいた、ちょっと胸がギュッとなるお便りをこの場をかりてご紹介させていただきますね。
「哲子さん、はじめまして。7年前からそちらのヨガ教室に通う主婦です。いつも原稿たのしみに読んでいます。
私は父を若くして亡くしましたが、とうとう今年、その年齢に追いつきます。
幸い今すぐ死んでしまうような兆しはなく、(もちろん人の死期は神のみぞ知るですが)、父が体験できなかった年齢を私はこれから体験していくのだと思うと、父の無念を想うと共に、体験できることへの感謝の気持ちが溢れてきます。
ヨガはお友達に誘われて始めまして。まぁ1年続けばいいかな〜くらいの軽い気持ちでしたが、私の方がハマってしまいました。こんなに長く続けるなんて思ってもいませんでした。週3日通う日課が心地よく、先生たちとのおしゃべりも面白おかしくて、このヨガ教室は私にとってとても大切な場所です。
ヨガを始める前、私はもっと卑屈な人間でした。
もっと世の中を憎んでいましたし、斜に構えていました。父がいなくて、金銭的に自分の夢が絶たれたことを恨んだときもありました。ヨガを始めたときも「ほんとに効くのかしら?」と半信半疑でした。
でも、そんな人間が、こんな風に感謝を伝えられるまでに変わった。私自身もこっちの人間の方が生きていて楽しいし、ラクなのです。
変わる体験をくれたヨガに感謝です。
きっかけをくれたお友達にも。そして、これからもヨガで心とカラダを健やかに保って、父が体験できなかった年齢を私が生きて体験していくことが、父への供養になればいいなと思うのです。
いつもスタジオのインストラクターさんたちは、笑顔で私を迎えてくれます。ありがとうございます。これからも長く通い続けたいと思っています。」
ちゃんと「伝える」ということをしてくださって、ほんとうにありがとう。
こんなお便りを書いてお気持ちを伝えられる方ですもの、お父様を亡くされて大変なご苦労をされてきたのだと思います。
「父が体験できなかった年齢を私が生きて体験していくことが、父への供養に」という言葉に、哲子も心底、心を打たれました。
ちょうど私哲子も昨年末のインドに続き、先日、人生で初めてある国へ渡り、あらゆるヨガ・マシンピラティスのレッスンを汗だくだくで体験してきまして。まさに生きること=体験することだな!と痛感しました。
そこで今回は、いただいたお便りを読んで、あの時に知った、この世で心とカラダで体験することの尊さを踏まえて、お届けさせていただきます。
体験したら、そう、分かるのです。
「体験」は、私たちがこの世界を生きていくうえで、課されたもの。魂の使命達成のために必要不可欠な経験です。物理的なこの世界で、心とカラダ、五感【視覚(見る)、聴覚(聴く)、味覚(味わう)、嗅覚(嗅ぐ)、触覚(皮膚で感じる)】を使って体験を味わい、その味わいを通じて、魂のレベルアップ・成長をしていくわけですね。
(「魂のレベルアップ・成長ってなに?」と疑問を持った方は、「生き方が変わる!人生を軌道に乗せる「ヒント」を教えます アクエリ子のごきげん魂(ソウル)『「私たちはなんで生まれてきたんだろう?」それは魂が知っている!』」に、とっても分かりやすく解説されています。どうぞご覧ください♪)
つまり、実際に体験をすることによってのみ、私たちは学びを得て、それを知恵にし、より豊かな人生や社会を築いていくことができる。
体験、ありき。
体験が何よりも始まり、なのです。
体験を味わい尽くす。量も、質も。
先日、私哲子が、人生で初めて訪れたある国とは、シンガポールでした。(シンガポールは新嘉坡と書くそうよ。ヨガ哲子さんの時代設定的に新嘉坡でしょうけれど、分かりにくいのでシンガポールで表現いたします。あしからず。)
シンガポールは、日本の淡路島くらいのエリアに約580万人が暮らしています。アジアの中心的な金融シティで、生産性がとっても高い!どこへ行くにも交通網がよく、バスや地下鉄はクレジットカードピッで乗れますし。
街は安全で、ゴミひとつ落ちてなくてクリーン。
街行く人たちはせかせか忙しく、タイムパフォーマンスが常に意識されている!みんな、キビキビ、シャキシャキしている!そんな印象を持ちました。だらだら、ぐだぐだ、のろのろしていたら怒られそう…そんな気さえしてきます。
シンガポールで哲子は、ありとあらゆるヨガ・マシンピラティススタジオのレッスンを体験しに行きまして。1日3レッスン受講を毎日繰り返しておりました。
なぜって?それが、生き甲斐なのよ~♪
まぁ、体力も時間も使います。けどね、体験しなければ、そのヨガやマシンピラティススタジオの良し悪しも、何も分からないのです。
駅からスタジオまでの距離、炎天下や雨の中歩くしんどさ、看板が外になく入口を見つけられず途方に暮れる沈んだ気持ち、緊張してエントランスに一歩踏み込んだ時に「ハーイ!」と笑顔で歓迎されるか、そうでないか。
もちろん、レッスンそのものはスタジオの質が最も表れますが、そこへ至るまでの、交流や空間、感情の揺れや濃淡から体験できることが山ほどあるのです。
量も、質も、体験を味わい尽くすことで、見えてくる境地ってあるのです。
体験のチャンスがやってきた!=体験する準備ができている!
いま日本ではマシンピラティス・ブーム到来!と言えるけど、シンガポールもまったく同じ、Everyone loves Pilates!
20代のオシャレ女子が友達と連れ立って来ていたり、オフィスワーカーがランチタイムを利用して受けに来ていたり。ヨガは心の安寧や精神的なサポートを求めている方も多いけど、細身の方もぽっちゃり体型な方も、シンガポールではマシンピラティスは完全なワークアウト!
これまでマシンジムやフィットネススタジオで鍛えていた方もどんどんマシンピラティスにやってきているようです。
そんなことで、初めて訪ねるマシンピラティススタジオの1回目クラスは、どのスタジオも、どの時間帯も満員。キャンセル待ちが並んでいるの。けれど、1回目クラスを受けなければ2回目以降クラスには行けないし、10人以上のキャンセル待ちがいるけれども、受けたい…!繰り上がることを祈って、ウェイトリストに並ぼう。
そんな気持ちでキャンセル待ち登録をして、まだかな、まだかなと、30分置きに列の並びを確認して一晩。
遂に、「You’ve got a spot!」。
晴れて体験できるチャンスを掴んだのです。
この時、私のヨガの恩師がささやきました。「体験できるということは、もうその準備があなたに備わっていますよ」と。
その体験をできるだけの、心とカラダの準備、金銭的な余裕、まわりのサポートや環境などが、もうあなたには準備されていますよ、魂が必要としている体験を受ける準備ができていますよというサインなのです。
だから、体験のチャンスがやってきたら、怖がる必要はありません。恐れも、遠慮も、要りません。勇気を出して、飛び込むだけ。だって、もう十分な準備があなたにはできているのですから。
逆に、準備ができていない体験に対しては、いくら望もうが期待しようが、チャンスはやってこないのが理です。マインドが切望したとしても、魂的に不要・今世で体験が求められていなければ、体験するチャンスはなくてよいのです。
それを悲観することもないし、「私には要らないのね」で十分なのです。
体験をないがしろにしない。人の体験の機会を奪わない。
体験はすべて、私たちの成長のための出来ごとです。この世で「成し遂げたい!」と目的を持って私たちは生まれてきますが、その目的を為すために必要な経験すべてが、私たちの人生には用意されているんです。
だから、どんな体験も尊重したい。
他の人から見たら、意味がない、ムダと思える体験があったとしても、それは当人にとっては貴重でかけがえのない体験であると、知ることです。
同じことが、自分ではない他の方にも言えます。
その方が経験すべき貴重な経験を、奪ってはいけない。私がやる方が早いから、私の方が知っているから、私がラクになりたいからと、奪ってはいけないのです。
かわいそう、ツラそうだからと、手を差し伸べたくなる気持ちも分かるわよ。
でもね、求められていないのに入り込んでいくのはやめましょう。成長したい、変わりたい、ヘルプ!がその方から届いたら、いつでもあなたの温かいサポートを差し出せるように。
この世界で心とカラダで体験することの尊さ。
生きて、体験できることのありがたさ。暑さにうだるシンガポールの雑踏も、汗だくだくでうけるヨガ・マシンピラティススタジオのレッスンも、体験したら、そう、分かるのです。見えてくるものがあるのです。
本日のお言葉
- ソヴァプナ・ニッドラー・ニャーナ アーランバナン ヴァー ヨーガ・スートラ 第1章38節から抜粋
- すべての経験に自分がいます。寝ている時も、夢を見ている時も、起きている時も、すべての経験の中心にいながら、どの体験にも限定されないのが、私たちの本当の姿・アートマー(真我)。意識の源です。日々の体験をしながらも、その経験を通じて自分自身を知り、静かな澄んだ心で自由な存在でいることができますように。
またお会いしましょうね♪