本日のお悩み
3年一緒に暮らしている彼がいます。以前は「家事は分担ね」って言ってたのに、今は私ばっかりやっているんです。その辺にポイってされる彼の脱いだ靴下を片づけたり、ごはんの後ダラダラしたいのに皿洗いも私だし。トイレ掃除も、ゴミ出しも、植木の水やりも、ぜーんぶ私ばっかり!もう、やんなっちゃう。別れちゃおうかな。。。
皆さま、ごきげんよう。
今日もお読みいただきありがとう♡
イヤな気持ちでやる家事ほど、やらされ感マックス、非効率で生産性は上がりません。
どうせなら鼻歌まじりで取り組みたい!きれいに片付いてゆく我が家を思って、より良い暮らしを夢見たい!というのが、家事に取り組む時の哲子の心がけです。
かくゆう私哲子は、別に家事が好きではない。しかしながら、本格的なアーユルヴェーダ・クッキングの勉学を修めた身ではあるし、適切に仕分けて片付いたクローゼットは我ながら圧巻でもあります。
それは、生きていく美学。
好き嫌いの感情で取り組むことじゃなくて、どんな人生、どんな毎日を送りたいかの哲学。栄養価に富んで五感が喜ぶおいしいごはんが食べたいし、ぐちゃぐちゃの服の山から日々服を選びたくはない。ただ、それだけのことです。
さてさて、彼に憤っているあなた様。
そうね、私ばっかり!って気持ちにもなりますね。一緒に暮らしているのに、家事のアレもコレも私ばっかりって、イヤになる気持ちも分かります。
そんな時は、どうぞ気付いてください。
「あれ?私、どうしたいんだっけ?」って。
言葉が、現実を作っている
人間は、言葉で思考しますね。思考は、思いがけず私たちの行動を制限したり、○○でなければならないといった思い込みが強いときがあります。脳の仕組み上、思考はネガティブに触れやすいものでもあります。
思考はエネルギーですから作用がありますね。私たちの言動を支配して、この目に見える世界、現れの世界を作っています。
例えば、こんな具合に。
「あーあ、今月もお金ないなぁ。いくら働いても給料上がんないし、残業ばっかだし。」
言葉のまんまです。お金はないし、給料は上がらないし、残業ばかりの世界を自分で作っているようです。
「必死でダイエットしてるのに、痩せないわ!それに、最近はシミやシワも増えてきたし。もう、やんなっちゃう。」
そうですね、ダイエットしても痩せないって言い切ってますね。そりゃ、痩せません。シミやシワも増えちゃう世界のようです。
「私を困らせるあの人、今日も私を困らせてきた!きー、腹立たしい!」
困らせるあの人は、「あなたを困らせる」存在なんですね。ならば、しょうがないです。困らせる人になっちゃいます。困らせる人は、家族・親・子ども・友人・同僚・上司・部下・お取引先・あなた様以外の誰かすべてです。
特に3つ目の「あなたを困らせる人」は、あなた様の中で、「あなたを困らせる人に『してしまっている』」ことが多いです。あなたを助けてくれる人や、サポートしてくれる人ではなく。
・・・どうでしょう?
ドッキリに聞こえた方もいるかもしれません。
ほどけない糸はないは、望み
誰もが、欠くところのない、完全なる存在だと知りましょう。
存在自体には善いも悪いもなくて、なにか歪みや、うまくいかないことがあれば、それは状況や環境、関係性によるものと考えます。
だから、望みがあると思うのです。
これはヨガの教え半分、哲子の希望半分ではあるけれども。
こんがらがった糸、そのものは、ただの糸。糸に善いも悪いもないですね。糸がこんがらがってしまったのは、ぐちゃぐちゃのお裁縫箱に入っていたから?糸の掛け方がまずかったから?
ほどけない糸はない(と思いたい)。
丁寧にひとつひとつ、あちらを緩めたら?、こっちから通したら?、を繰り返す。繰り返して、繰り返して、そのうちパッとほどけるのです。
糸、そのものは完全なる存在。こんがらがってしまったのは、状況、環境、タイミングによるものなのです。
「ぜーんぶ自分ばっかり!」を、自分が選んでない?
彼に憤っているあなた様、どうしたらいいか?は、もうお分かりね♪
1、「私、どうしたいんだっけ?」でご自身の気持ちを確認。
2、「私は彼を『自分を困らせる人』にしてないか?」胸に手を当てて考えてみる。
3、「私はこうしたい」を彼に伝えて、話し合う。
伝えなければ、分かりません。あなた様と彼は別人、察してくれは、とうてい無理というものよ。
「ぜーんぶ自分ばっかり!」を、自分がギューッと握って放さないを選んでいる限り、状況が変わることはありません。
変えたいのなら、次のステップへ。
あなた様が鼻歌を歌いながら家事をして、ごきげんな方が、彼も嬉しいのでは?
本日のお言葉
- マイトリー、カルナー、ムディタ、ウペークシャーナーン、スカ・ドゥッカ、プンニャ・アプンニャ ヴィシャヤーナーン バアーヴァナータハ チッタ・プラサーダナン
ヨーガ・スートラ 第1章33節から抜粋 - 心が澄んでいるとき、曇りなき目で物事をみる視界が開けます。心を浄化したとき、自分自身である優しさ、慈悲深さ、ゆとり、落ち着き、穏やかさ、静けさの意味を知ることができます。 物事の受け止め方を変えてみることです。毎日の生き方を少しずつ変える努力をすることです。誰かに嬉しいことがあったら、素直に相手を喜ぶこと。人の素晴らしさを、そのまま受け入れて喜ぶこと。そうすることで心の曇りが徐々にとれて、ありのままをみる落ち着いた心、研ぎ澄まされた知性が育まれるのです。
またお会いしましょうね♪