本日のお悩み
ChatGPT(チャットジーピーティー)を使い、衝撃を受けました。頭の中でAIは機械だと分かっていても、私の心のどこかでAI(人工知能)にも感情があるのでは?と思うこともあります。哲子さんはどう思いますか?
本日もお悩み相談ありがとうございます。
なんとまぁ!おもしろい!
私も先日お友達と、今話題のAIチャットChatGPTについて「なるほど!」と思うことがありましたの。
ご存知かしら?ChatGPT。哲子もね、こういう分野は嫌いじゃないのですよ♪
ChatGPTはアメリカのIT企業が作ったAIを使ったチャットサービスで、人の質問に対してまるで人が返しているかのような自然なやり取りが特徴になっています。
つまり、ある機能においては人になる?!技術を搭載しているってことになるかしら。
さて、皆様はどうお考えになる?
私のお友達はChatGPTとお嬢様風会話を楽しんだり、美味しい煮物の献立を教えてもらったり。なんとも彩り豊かな暮らしの予感です。うふふ。
ヨガが定義する感情とは?感情はどこからやってくる?
今回のご質問、AIに感情はあるのか?まずは、私たちの聖典ヨーガ・スートラで「感情」はどのように定義されているのか、紐解いていきましょう。
ヨガでは、あなた自身の存在とあなたの感情は切り離して考えます。「自分と感情を切り離す?はて?」という方もいらっしゃいますね。平たく言うと、存在と感情は「別物」ということ。
あなたという存在は幸せそのもので、悩みも欠点もない、完全に自由で愛に満ちた存在。何も嘆くことがないし、怒りも、悲しみもない。
まるっと幸せな存在です。
そんな幸せな存在のあなたも、悲しんだり、怒ったりすることがある。
それは、あなたのまわりに浮遊している悲しみや怒りと、このひと時、手を結んでしまっているから。
手を結んでしまったから、幸せな存在であるあなた自身にも悲しみや怒りが伝わって、その感情が引き起こるのです。
図に書いてみると分かりやすいわ。あなたと書いて、丸で囲みます。
その感情は今このひと時だけのこと、決して永遠ではありません。感情と手を離せば、あなたはまた元の幸せな存在に戻るのです。
感情との付き合い方
おもしろいもので、感情が起こる仕組みが理解できると、感情との付き合い方が分かってきます。大きな視野で、ひとつ上の視座で、私と感情を捉えることができるようになる。
これはヨガの大切な教え、心の揺れを小さくすることにつながる大事な一歩なのよ。
悲しみや怒りの渦に巻き込まれたなら、「あー、私、洗濯機みたいにぐるぐる回っちゃっているな〜」と思いながらも、その感情を思う存分味わったらよろしい。
無理に手を離さなきゃ、とか、止めなきゃ、と思わなくてよいのよ。どうせなら味わい尽くしてね。
ひとしきり渦に巻き込まれた後、ある時ぽっかり浮上してくるのです。「もう、悲しむのは疲れたな。怒るのも疲れたな。」この時が感情と手を離すベストタイミングと言えるでしょう。
味わい尽くした感情から離れる時です。そしてまた、元の幸せな存在であるあなた自身へと戻ってゆけるのです。
つまりAIに感情はあるのか?ないのか?
ヨガポーズのレッスンも、瞑想や哲学の実践も、心の軸がブレた時に手を結びやすいネガティブな感情との付き合い方の練習に他なりません。
「このポーズ、きついな〜。ちょっとラクしちゃおうかな〜。」と考えるそばからグラグラして、ポーズはバランスを崩します。
「明日の仕事の資料、やらなきゃな~。ほんと、めんどくさっ。」と瞑想中にこれでは思いやられます。
感情との距離感、そしてその手のつなぎ方が意図的にコントロールできるようになった時、私たちはひとつヨガの階段を上がることができるのかもしれないですね。
さて本題である、AI含む機械に感情はあるのか?
私、哲子の回答は「ノー」!感情はありません。なぜならChatGPTに聞いちゃったから!笑
(ぜひ、お試しを♪)
ただ、ひとつその回答に付け加えたいことがあります。
それは、人の感情は他の人やモノに移るということ。
機械を扱う人の感情が、トゲトゲしているのか?
まあるく温かいのか?
感情は人が感じているものであり、AIとAIのやり取りではなく、人とAIのやり取りであれば、そこに感情の受け渡しは存在すると、哲子は思います。
その感情の波動によってChatGPTからの回答も変化するかもしれませんね。あしからず。
本日のお言葉
- ヨーガハ チッタ ヴルッティ ニローダハ ヨーガ・スートラ 第1章2節から抜粋
- 悲しみや怒りから自由になるための教えがヨガであり、人が望む究極の自由は、知るべきことを知った時に叶うと言われます。私たちは誰もが、自由で幸せになるために、この世界に生まれてきています。自由への扉を開けるための生き方である、ヨガ。心の動きを収めて、内なる静けさにとどまることができる時、私たちの静かに澄んだ知性が顔を出し、本質と真実に気づかせてくれるのです。
またお会いしましょうね♪